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« ネムっ | メイン | ロブのチェロリサイタル » 教会に行ってきた話 - 2007年07月19日ラヂオまるまる絡みの収録の関係で鰺ヶ沢福音キリスト教会さんへと行ってきた。 オルガン演奏が行われたので、お伺いした次第。 収録具合はまだ吟味していないのでさておき、平素限りなく縁遠い信仰というものについて、ちょびっとだけ考えさせられたさね。 実のところ、オレは中学生の頃、漠然とお坊さんになりたかったw その頃のオレ式の考えでは、科学での解明に限界がある以上、それを一足飛びに超えるには宗教か哲学しかないように思えたのであるよ。 んで、まあ、輪廻転生とか業とかそういう思想が非常にしっくりきたように思えた。少なくとも、その頃理解(錯覚?w)した考え方では、体験とか自己認識を主体とした仏教宗派では、己が内面に答えを見出すという方向性がしっくりきた。 今にして思えば、けっこうこれも笑止千万で、認識があくまでも脳という器官の処理で行われる以上、脳が誤動作すると、経験も体験もとたんにその説得力がゆらぐよな、ってことをいつのまにやら思い始めたからである。つまるところ、どんな神秘体験も他者に客観的にその内容を伝達できない以上は、真実ではない可能性がどこまでいってもありえるかなと。 でも、中学生の頃のオレは幽体離脱体験(ToB: The out of body experience とかいうとちょっとかこいい?w)一歩手前とかの経験があるので、いまその頃のオレに説教たれてもわっかんないだろうな~。 話がとっちらかってきましたが、おそらく、どんなに信仰心がないと思っている人間であっても、だ。ここ一番、なにかって時には、誰もが祈るものだ、きっと。 そのとき、何に祈るのかってぇのはきっと問題ではなくて、祈るという行為そのものが非常に人間くさいものなのだろうなぁ。 そう考えると、オレはよくパチ屋で祈ってた気がする…。 ん~。 投稿者 吟 : 2007年07月19日 23:13 トラックバックこのエントリーのトラックバックURL: コメント吟さん、昨日は遅くまでお疲れさまでしたぁ。
祈りは魔が差す時に 光が差す瞬間に変える力があると思ってます。。。 投稿者 ゆめ : 2007年07月20日 15:38 いろいろな見方があってこその、この世の中って感じですわな~。 投稿者 吟 : 2007年07月20日 23:18 コメントしてください検索 |
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