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amf - 2007年08月07日ajigasawa music festival の略称が amf。 あいにくの天気だったけど、あっちこっちの建物から、ピアノやチェロやヴァイオリンの音が聞こえてきてました。 かような取り組みが行われているのは、「情報」としては知っていましたが、実際にその場に足を運んで「現場」としての雰囲気を知ることで、よりいっそう考えさせられるものがありました。 幾つか思ったことを率直に書いてみようとは思いますが、認識不足や間違った理解があるかもしれませんので、その際はつっこみお願いします(^^;) amf のミュージックキャンプは、演奏家育成という観点からは間違いなく一定以上の評価を与えられてしかるべき理念と内容を持っているように感じられました。参加者の表情はどれも明るく、ミュージックキャンプの環境や内容、講師陣やほかの参加者といった関係性から明らかにプラスの刺激を得られているように見て取れ、素晴らしい取り組みだと思われました。 反面、どうしても消化しきれない違和感がひとつ。 この点に関しては、次のように考察することができます。 よく言われる常套句として、amf は音楽の里づくり構想(または音楽の里あじがさわ)の一環である、という言い回しがあります。「音楽の里づくり」とは、鰺ヶ沢町の第四次長期総合計画の中でうたわれているもののひとつであり、自分自身、○○会メンバーとして、その計画を受けてのビジョンの策定に携わった経緯があります。 このビジョン策定時にしばしば指摘されていた問題が、「音楽の里」という言葉の捉え方なのです。間口があまりに広すぎて、なんでもかんでも詰め込み可能な便利用語なのです。 結果、○○会では、ビジョン策定作業において、「音楽の里」を定義することをあえて行いませんでした。あらゆるものを包含するイメージの言葉としてそのまま許容し、それを補強するために総花的なビジョンの提案を行うことになりました。 話をもどすと… 音楽の里あじがさわ の一環として amf を行っているという話は一見筋が通ってみえます。 これは、鰺ヶ沢町の将来像というか、グラウンドデザインがどうなっているのか、鰺ヶ沢町の立場として amf をどのように位置づけるべきかという問題です。 今のまま、amf が回数と一定の評価・実績を重ねて行けば、確実に鰺ヶ沢町の認知もその方面では高まっていくでしょう。でもそれは、イコールで「音楽の里あじがさわ」ということになるのでしょうか。amf開催地としての鰺ヶ沢ということに留まるのではないでしょうか。それでよしとするのでしょうか。 なんか、それは非常にもったいない気がおおいにしますが。 同時に、今、鰺ヶ沢町はいろいろな意味で曲がり角ですが、「位置づけの見直し」や「再定義」といった作業は非常に重要なキーワードになっていくような気がしてなりませぬ。 さて、ここからはイマジネーションの飛躍ですがw 鰺ヶ沢町大字長平字音楽の里 とかいう住所があればかっこいいですね。 オマケ: 投稿者 吟 : 2007年08月07日 21:21 トラックバックこのエントリーのトラックバックURL: コメントのだめ in Ajigasawa!? 投稿者 くりげ : 2007年08月07日 23:18 ビリーさんが来たかと思った; 投稿者 えむの森 : 2007年08月07日 23:35 くりげさん、 えむの森さん、 今日、amf関係のコンサートにいってきましたが、生で聞くアコースティック楽器は、なんつか音のダイナミックレンジが広いつか、演奏者の技量ももちろん高いんで圧倒的存在感つか、かな~り、きてたw 投稿者 吟 : 2007年08月09日 00:42 コメントしてください検索 |
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