« 2009年08月 | メイン | 2009年10月 » アオサギなんだな - 2009年09月29日中村地区から長平方面に向う途上にある集落・間木(まぎ)。 いた。 こっちがむこうを捉える=むこうもこっちを捉える、で速攻、逃げる。 でも、逃げたあと、ぐる~っと弧を描いてこっちに一回戻ってくる(^^;) 好奇心が強い鳥なんかね?? ちなみに間木の隣の集落、中下(なかしも)には、やけに人慣れしてるのが一羽いて、かなり近寄れる。 この時期、中村方面にいくとアオサギだけでお腹一杯になれますな…。 投稿者 吟 : 22:54 | コメント (0) | トラックバック 実りの秋だ - II - 2009年09月27日南浮田の田園地帯。 五能線が通っているのが特徴ですな。 投稿者 吟 : 21:02 | コメント (0) | トラックバック ミツバチを見ていた - 2009年09月25日ここんとこ日差しが強い。 ま、そんなミツバチをこう、観察しておったわけだ、ぶーんぶーんと。 次から次へと花から花へと忙しく行きかう働き蜂であるが… なんか、こう、あるよね、人間界でもこういうの…(^^;) ちなみに蜘蛛の糸なんだが、構造を支えるための糸で粘着力はないです。 投稿者 吟 : 23:19 | コメント (0) | トラックバック 実りの秋だ - 2009年09月24日も~、なに食ってもうまいシーズンの到来。 岩木山を臨む中村地区・間木の田んぼも、『実るほど頭を垂れる稲穂かな』(詠み人知らず)
うめえ、うめえよ、うめえ、をくるっくくるっく~言ってるキジバトも。
投稿者 吟 : 23:01 | コメント (2) | トラックバック 素直に驚嘆 - 2009年09月21日アブの空中停止、いわゆるホバリングはすごいな…。 一点に制止して、まったく揺らがないよ? アブとハエって、近い種類なんだねえ…。 投稿者 吟 : 23:21 | コメント (0) | トラックバック あ~う - 2009年09月20日モノぶっこわれ週間は継続中と思われる節が… けっこうよくつかうレンズが、ぎゅんぎゅん異音を立てるように…。 と、いうことで、休み明けには似たカメラもってる人にお願いして、本体側の問題なのかレンズ側の問題なのか切り分けてみないといけない感じなので、お願いします>似たカメラ持ちのご町内在住のそこのアナタ! 写真は全然関係ないけど、ニンニク好きなオレではありますが、半分くらい食った段階で舌がピリピリしはじめた。 最強ニンニク臭を撒き散らしつつ…ん~。 投稿者 吟 : 23:01 | コメント (0) | トラックバック いろんなものが壊れる週間 - 2009年09月16日皆様、お久しぶりでございます…。 …っていうかネットのつながってないPCはソリテアマシンだった、さ… そんなこんなの秋の暮れ時
そんでもって、今日、出先で急に車のエンジンがかからなくなった…。 クルマについてはまったくとんちんかんなので、もう、なにがなにやらと。 いろんなもんが壊れる週間…終了であることを祈るのみだがまだなんか継続中だったらどうしやう…。 投稿者 吟 : 23:11 | コメント (5) | トラックバック ごまだらかみきり - 2009年09月11日ゴマダラカミキリさんが、バケツの溜まり水に落っこちてアタフタしていたので救助した。 ひとしきり陽光を浴びて復活すると、何処かへと飛び去っていった。 まだ、恩返しには戻ってきていない…。 投稿者 吟 : 23:07 | コメント (0) | トラックバック 秋風だ… - 2009年09月10日ちょっと雨が降っては晴れる、の繰り返しだったので、これは虹がみえるにちがいね~とか思ったものの、タイミングがあわず、逃す。 ま、でもなんか、この海の色が左右で極端に違う感じとか、晴れと雨の境目っぽくもあり。 ちょい、さむっ。 投稿者 吟 : 23:41 | コメント (0) | トラックバック 中途半端というか極端というか… - 2009年09月09日雨が降ったりやんだりが、メリハリありすぎ。極端すぎ。 そして写真は本文とはあんまり関係ないけど、秋の花。 全然関係ないけど、某所から帰ってくる途中に、道路端でキジを見た。 なにやってんだい、ってのはオレ自身に向けた言葉になったそうな。 投稿者 吟 : 23:02 | コメント (0) | トラックバック なにやらしゃっきりしませんが - 2009年09月08日気候が夏と秋を行ったりきたりしているせいか、なにやら、しゃっきりしませんな。 すんげ~眠いし…。 雨とか降ってたし低気圧の影響で眠いのかね?(この因果関係はいまだに謎ではある) 投稿者 吟 : 20:26 | コメント (0) | トラックバック そこでなにをしておるのか - 2009年09月07日日常業務の一環である、金魚の餌やりをやろうとしたらば… あら?? 金魚水槽の裏ッ側の隙間空間がちょうど心地よいのか、庭野良ファミリー改めベランダ野良ファミリーのタマくんよ…。 やがて、金魚の動きを追っていたらば眠気が…w; 投稿者 吟 : 22:22 | コメント (2) | トラックバック わが町遺産【第3回】~長平のトーチカ~ - 2009年09月06日ども。 blog版では、写真を新規撮影した上で、再構成してお届けします。 わが町遺産【第3回】~長平のトーチカ~ さてさて…。 まあ、行く前に学芸員N氏に まあ、害はないのですが、平素から触れ合っている系の生き物ではないので、すんませんすんません、ごめんなさいごめんなさい、みたいな感じで中に入っていったら、急に雨ふってきて、そのまま雨宿り状態に…。 1)トーチカで ちょっと、なんつか、ここだけで十分すぎるくらいにブログネタだったかと思う次第… しかし、まあ、このトーチカは訓練用とのことだけど、戦地にもあったわけだよね…この中で果てた人もいるわけだよね…絶対ここでは死にたくないと思いながらも、そんなことに思いを馳せた。 今はなにもないけれど、ドアの蝶番が残っていたので、本当は完全に密閉空間だったようです。 今回紹介した「わが町遺産」の場所: 投稿者 吟 : 20:25 | コメント (0) | トラックバック 生き残るってのは大変だ - 2009年09月04日※今日は、蜘蛛の写真がでてきます。キライな人は、今ここで踏みとどまるがよろしいかと…。 あ、さて…。 案の定。↑母さん蝶々といっしょに生みたてタマゴが写ってますね。 ※間もなくかわいい蜘蛛の写真がでてきます。でも、どうしてもキライな人はここでストップ。 結局その周辺には3個のタマゴが。 ちょっと気になっていろいろ調べてみると、このタマゴに寄生するハエとかもいるようで、すでにこの段階で自然界における生き残り合戦が始っているわけですよ。なんら防衛手段を持たない蝶のタマゴがこのまま孵化するかどうかってぇのは、まったくもって運・不運でしかないなと。 でも、逆に考えると、今この段階で、このタマゴはぴかぴかの状態なんだよねえ…一瞬、捕獲しようかどうしようかって悩んだものの…やっぱ自然のままにしておこうかと思いつつ…もう一度観察しようと戻ってみると…。 すでに、ごちそーさまでしたって顔のハエトリグモが…。 ん~。生き残るということは大変なことですよ…。 しばらくすると、またふわふわとカラスアゲハがやってきて… ↑補充(?)していった…。 以上、一本の山椒の木を中心に繰り広げられる虫世界の生存競争を見ていた話でありました…。 投稿者 吟 : 22:07 | コメント (2) | トラックバック 大祭に関するエトセトラ - 2009年09月03日先月末、といってもそれは今週頭のこと。 その絡みでいろいろ仕入れていたネタをメモ的にここに残そうかと。 まずは、シラハチマンなのかシロハチマンなのか、から…。 白八幡宮大祭の読みはシロハチマングウタイサイなのかシラハチマングウタイサイなのか。 ○どちらでもよい。シラと読もうがシロと読もうが、それが白八幡宮を指しているのであれば(八) 神輿について このふたつには、白八幡宮の主神が載っているとのこと。 前方の神輿 ○かつて田中町・水屋に存在し、後に白八幡宮に遷座した白鳥大明神。担ぎ手は田中町の者(より正式には田中町の漁師?)。神輿の名称は鳳凰輦(ほうおうれん)または略して鳳輦(ほうれん)という。神輿上部の飾りは伝説の生物、鳳凰である。(八)
○もともとの白八幡宮の主祭神。担ぎ手は漁師町の者(より正式には漁師町の漁師?)。神輿の名称は葱華輦(そうかれん)。神輿上部の飾りは、ネギの花(葱坊主)である。ネギの花は咲いても落ちないので縁起が良いとされる故。(八) ○田中町と漁師町の者が担ぐのは、かつてその町内が行列運行の終端だったためである。終端の町内の者は、そこまで来てくれるのであるから、と担ぎ手をかってでたとのことである。現在の行列の終端は大和田-舞戸まで伸びたが、そのしきたりが継承されている。(八) 行列について 大祭は正式には神幸祭(しんこうさい)と云う。神幸祭の中において、出発時の式を発興式(はつよしき)または発興祭(はつよさい)、到着時の式を還幸祭(かんこうさい)と云う。(八)
神輿行列は渡御(とぎょ)と云い、船による渡御を海上渡御(かいじょうとぎょ)という。 渡御は町内全ての神社前を通過するが、塩竈神社の仮殿、願行寺と水屋ではかならず立ち停まる。 ○かつての御旅所(神輿が宿泊する場所)は、水屋(田中町)であり、御旅所に神輿(=神)が居る場合、その場所で前夜祭(宵宮)が行われた。当時もう一方の端である淀町でも宵宮を行いたいという申し出があり、豊受美神社を御旅所とするパターンが新たに編成され、以降、公平となるよう交互に運行を行うようになった。しかしながら、その後、豊受美神社が御旅所として使われることがなくなったのだが、今後に運行するという伝統だけが受け継がれて現在に至る(八) ○海上渡御がなぜ行われるようになったかの由来は定かではない。(八) ○塩竈神社に立ち寄るのは正式参拝である。これは塩竈神社の祭神がかつて白八幡宮に合祀されていたことによる。(八) ○願行寺に立ち寄るのは、先々代の住職が、寺の前で破損した神輿を修理してくれたことに由来し、以降、敬意を表しているためである。(八) ○水屋に立ち寄るのは、かつて水屋に祭られていた白鳥大明神を合祀していることに由来する。(八) ○塩竈神社で奉納されるカシ禰宜について、これを漢字表記で下司禰宜とした明治時代の新聞記事が存在する。(ただし、その漢字表記が何に起因するかは不明である)
○元来、祭りは神事であり、神輿行列と山車行列が一体となっている大祭は、由緒正しい祭りの形態を現在に伝えている。逆に後方の山車運行が神事を離れ、発展するとネブタやネプタのような祭り形態になる。(書) ○山車には行きと戻りの囃子があり、それぞれチャンチャレンコと夜神楽である。行きか戻りかは、神輿行列の動きを基準とするが、神輿行列がいない場合には山車の動きを基準とする。(冨) 例)淀町方面へ向う漁師町通過時、神輿は新地におり不在であるので、山車を基準に考え囃子は行き(チャンチャレンコ)を奏でる。復路では、神輿が漁師町をはじめて通過するので、これも行きと考えてチャンチャレンコを奏でる。その後、神輿が浜町に入り、山車が釣町を通過する際には、前方に神輿がいないので、山車の往復を考えて戻りとし、夜神楽を奏でる。 ※とはいえ、生演奏がすたれ、テープ再生が主体となっている現状では、このような細やかな演奏の仕分けが難しくなっているのも事実でありましょう。 ○チャンチャレンコの語源は、その演奏の擬音ではないか。口伝による演奏技術の継承などの結果ではないか。(冨) ○ちなみに弘前にはチャンチャレンコそっくりの演奏が残っており、弘前祇園囃子と呼ばれている。夜神楽もあるぽい。 ○鰺ヶ沢の夜神楽は、戦後はじまったものであり、二丁目が始め、それが各町内に広まった。(冨) ○ただし、一丁目だけは夜神楽はおこなっていない。しかしながら、夜神楽の囃子で舞う児雷也はある。 ○夜神楽には歌詞があり、その内容は… ※↑メロディを覚えやすくするための当て歌詞?
投稿者 吟 : 23:19 | コメント (2) | トラックバック 一年、たった - 2009年09月01日今日はラッキーの一周忌であった。 とはいえ、ことさらなにかやったわけではないけど。 検索 |
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