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鰺ヶ沢音頭の謎 - 2005年06月16日

どうも。

すっかり「鰺ヶ沢音頭」の検索で、トップにくるのに味をしめ、今日も今日とてこの話します。w

既報どおり、鰺ヶ沢音頭ウチワを作成中でございますが、ウチワそのものの詳細話は、また後日。

でも、まあ、ちょっと無駄印刷が発生してしまったので追加で紙たのみましたよ。理由は、ウチワにあしらった歌詞にいくつもバージョンがあることが判明し、最終的に選んだものが、印刷済みのものと違ったため・・・。
つーことで本日は、ウチワ作成過程で生じた「鰺ヶ沢音頭の謎」について触れたいと思います。



実はこういう展開、以前もありまして。
昨年、○○会(まるまるかい)では、「おと in 鰺ヶ沢」というオリジナルCDを作成したわけですが、この作成過程において、埋もれていた鰺ヶ沢甚句の歌詞というのを再発見してしまったわけです。(リンクしといてなんですが、現在のコレクションはもっと増えてますがな・・・今後のネタにキープしとこ・・・)

で、まあ、今回の音頭ですが。

1) また来ひや 問題
鰺ヶ沢~ よいと~こ ヨイヨイヨイトコ また来… へ~や~ っていうフレーズで必ず終わる鰺ヶ沢音頭なのですが、これ、どうやら正式には 「来ひや」 らしいっすね。

論拠はこれ。鰺ヶ沢音頭記念碑@はまなす公園
050616-1.jpg

ちなみに、この石碑のすぐそばにある「水屋大橋」にはまっているプレートは…。
050616-2.jpg

おまけ。鰺ヶ沢町淀町にある某仕出し店の割り箸の袋の歌詞…。
050616-3.jpg

いい加減にしてくれw
まあ、ちなみに、ほかにも例を出すと、鰺ヶ沢町史第三巻710ページに乗ってる歌詞も、昭和のころに観光協会が作成したレコードの歌詞も「来へや」。

ちなみに、現存する唯一(と思われる)の「鰺ヶ沢音頭」の音源を聞く限りでは、「来(き)へや」 と 「来(き)ひや」の中間の発音に聞こえる。どっちとも取れる。でも、どっちかっていうと、「来(き)へや」。

なんでかっていうと、鰺ヶ沢弁的には「来へや」はアリなので、そう歌ってるような気がしちゃうんだよね。でも、「来ひや」説が、じつは鰺ヶ沢無形文化財保存会の正式見解。先の冒頭の記念碑を承認して維持してるのが、彼らだし。

ただし「来ひや」は現代かなづかいでは「来いや」なんだよね。

もしかすっと、オリジナル歌詞が「来(こ)いや」だったのだが、収録の段階で、鰺ヶ沢弁で歌いなおしが行われたという可能性はないのだろうか?

おお、われながら、すごい新説かもしれん、自画自賛。

2)作者の謎
けっこう、定説では

作詞:大沢清三
作曲:大村能章

ということになっている。この定説の論拠は、やはり鰺ヶ沢町史三巻710ページかと。だけど、先の保存会認定の石碑では
050616-4.jpg

なんだよねえ。

この件に関しては、広報あじがさわ 平成17年4月号の10ページに仮説がある。
曰く、

実際の作詞者は大沢清三氏だったという噂がある。鰺ヶ沢港起工式記念に作られたが、大沢氏の名前では世の中に広まらないだろうというので観水氏の名を借りたのだという。

(もっと読みたいばあいは、こちら

ん~この説は、ぐっとくる。
鰺ヶ沢音頭の素材セレクションがとてもジモピーっぽいんだよね。大沢さんは鰺ヶ沢の人だけども、観水さんはおとなり深浦の人なのよね…。

ただ、「だったという噂がある」って、書いてるご当人が、鰺ヶ沢町史当該ページの担当者ではないのかね? あれ?? っていう疑問もある(w

まあ、著作権的には消失しているので、誰であってももはや、いいような気もするけど、保存会でなんか確証とかあるのであれば聞いてみたい気もする。

投稿者 吟 : 2005年06月16日 23:54


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コメント

天童山と、山形にある天童とは無関係?

投稿者 moral : 2005年06月17日 11:07

ローカル過ぎてまったくわからん

投稿者 sannoji : 2005年06月17日 18:07

ローカル読者向け記事もたまには必要なのだw

天童山と天童は関係あるかどうかはわからんが・・・。直接的な関係はないんじゃないかな。江戸期盛んに東北南部や北陸地方とは交流あったけど、地名自体はそれ以前からだと思われるし。

投稿者 吟 : 2005年06月17日 20:26

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