鰺ヶ沢町は、そもそも昭和30年に1つの町(鰺ヶ沢)と4つの村(赤石村、舞戸村、中村、鳴沢村)が合併して現在に至ります。この5つの地区による大分類が現在も有効なのは、それぞれの地区ごとに地域性というか、地域住民のアイディンティティが微妙に異なっているためです。
そんな雰囲気があるので、5回に分けて各地区を回るというツアー形式というかなんというか、そういう作戦はしっくりきます。
で、この地区ごとに微妙に違うアイディンティティってのがどう出るのかがすごく気になって5回全部に出てみたかったんだけど、諸般の事情で挫折。でも、もう一回、鰺ヶ沢地区でやるのには行ってみるつもりだけど。
んで…昨日の舞戸地区のに行ってみたわけですが。
町の取り組みや現状とかっていうのは、ここで長々と伝えてもちょっとあれなので、そういう話はまたの機会にすることにして…なんつか、面白いw;
マクロとミクロのぶつかり合いというかw;
鰺ヶ沢ワールドとして捉えると、行政サイドは大局的観点に立っていてある種マクロ視点なわけです。そうじゃないと困るわけですが。
これに対して住民視点は、自分たちの生活に密着した非常に緻密で具体的な、対比としてミクロ視点な訳です。大きい小さいでどっちが良いとか悪いとかということではありません。
この接点が面白いというか興味深いというか。
えらそうなことをいっちゃうと、そこの交錯したところに地方自治というマツリゴトがあるんじゃないか、みたいなw
だってさ~
これ、ある程度以上の規模で町民が参加したら、ギリシア時代の直接性民主主義という原点回帰が可能ですよ。議会すらいらない気がする。
そんな、ねえ、大きい町じゃないんだから、直接投票でなんでもきめようとおもえばできちゃうんじゃないか、と素直に思った。
思っただけで、そうしろと言っている訳ではないですが:P
あと、ちょっと感じたのは、住民という立場と行政という立場。この間に成立する公共サービスとは何かということ。
例えば、住民には生活にかかわるなにがしかの要望があるもの。
それが個の範疇に収まらない場合、公共として対処してくれっていうのは正しいのか? みたいな。
時代的には、もうなんでもやってくれっていうのは全然古臭くて、限り在るリソースをどういう風に組み合わせて最大効率を発揮していくかっていう観点が必要なんじゃないのかいな?という事を思わせるような話もあった、なにがどうっていう具体的なこは伏せとくが(^^;)
それが町のためだとおもうから町がやれ
じゃなくて
それが町のためだとオレは思うので、オレがやるけど、ちょっと手伝ってよ。
っていうのは、現実路線なんじゃなかろーか?
とか、まあいろいろ考えるきっかけにはなるので、鰺ヶ沢の人はなるべく行ったほうがいいとオレは思うぞ、あと3回あるし。まあ、オレがヒマなだけだろと言われてしまえば、そんな気もするw
こういうことをきっかけに、なにゆえ鰺ヶ沢に生きるのかを考えることは鰺ヶ沢に住んでる人にとっては盲点的だが超重要だと思う次第でございます。
赤石地区:6月20日(水) 赤石公民館
鰺ヶ沢地区:6月21日(木) 山村開発センター
鳴沢地区:6月22日(金) 南浮田農業センター
(どこも18:30~20:30の予定)