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わが町遺産【第2回】~御仮屋(おかりや):鰺ヶ沢町奉行所 - 2009年08月09日
ども。
「わが町遺産」シリーズとコラボるblog企画の第二弾です。
>>第一弾はこちら。
今回もblog版では、写真を新規撮影した上で、再構成してお届けします。
わが町遺産【第2回】~御仮屋(おかりや):鰺ヶ沢町奉行所
現在の鰺ヶ沢保育所が建っているところ、ここに昔、江戸時代の鰺ヶ沢町奉行所がありました。鰺ヶ沢の港町を管轄する町奉行のいた奉行所の跡地として、皆さんもよくご存じなのではないでしょうか。でも、さらに「御仮屋」という名前まで知ってる人がいたら、その人は相当の歴史先生です。
[現在の鰺ヶ沢保育所正面階段]
「御仮屋」というのは、殿様の宿泊所のことを意味します。弘前城の殿様が江戸に旅する途中とか、領内の巡見を行う時の仮の宿舎として使われました。殿様のいない時には、ふだん町奉行所として使っていました。だから御仮屋も、町奉行所も、同じ建物だったのです。
さて鰺ヶ沢の御仮屋(町奉行所)ですが、入り口は何処だったでしょうか? 今と同じ保育所に上がっていく階段だと思った人、残念、間違いです。実は昔の絵図では、御仮屋の入り口は、なんと米町の通りに面した所に描かれています。今で言うと、裁判所に上がっていく坂道の下あたりです。
[鰺ヶ沢町絵図(光信公の館蔵)の一部:クリックで拡大]
もちろん現在は、入り口なんてありません。つまり、どういうことかというと、御仮屋があった江戸時代の後、明治時代になってから、もともとの入り口を埋めて、今の場所に新しい階段を作ったみたいなのです。
これは意外な豆知識です。知らない人が多いと思うので、ぜひ自慢して教えてあげてください。(文:町学芸員 中田)
[米町通りから見た現在の様子:昔はここに階段が]
オマケ写真:
御仮屋跡地はその後も町の要所として使われ続けました。
近年では、昭和48年(1973年)に現在の場所に移転するまでの鯵ヶ沢町役場は、御仮屋の場所にあり、その裏手に旧・鯵ヶ沢保育所がありました。

[昭和40年(1965年)頃の旧・役場庁舎]
現在の保育所の正面階段が旧・役場ではこのように。右側の樹木は今はもうないですが。

[改築される直前の旧・鯵ヶ沢保育所]
建物はなくなりましたが、左に写っている松は今も同じ場所にありますね。
今回紹介した「わが町遺産」の場所:
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投稿者 吟 : 2009年08月09日 15:09
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