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わが町遺産【第3回】~長平のトーチカ~ - 2009年09月06日

ども。
 鰺ヶ沢町教育委員会広報紙〝あじある情報〟に不定期連載されている「わが町遺産」シリーズとのコラボ企画第三弾です。

 blog版では、写真を新規撮影した上で、再構成してお届けします。
 今回は写真撮るのがちょっとだけ大変でした。このままどんどんアドベンチャーな感じに持っていかれるのか否か、不安が…。



わが町遺産【第3回】~長平のトーチカ~

 トーチカ(точка)とは、コンクリート製の防御陣地をさす軍事用語で、もともとはロシア語で「点」という意味です。一般的には、コンクリートで固めた中に兵隊が入り、小さな銃眼から、機関銃などで敵を迎え撃つのに使われました。戦前、日本にまだ軍隊があった時代、こうしたトーチカは、各地の軍施設に作られていました。

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[トーチカ外観]

 そのトーチカの本物が、なんと、わが町にもあると言うから驚きです。長平の和開地区にある丘の上。歩いて登って、たどり着いた林の中に、それは人知れず残されています。トーチカは、厚さ1mもある頑丈なコンクリート壁で守られており、中に入ると、細長い窓から周りを監視できるようになっていました。思わず、わが目を疑うような、まるで異空間に迷いこんだような感動が味わえます。

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[内部の様子:露出時間を長くとって撮影。実際は、肉眼でも真っ暗。]

 なぜ、どうして、ここにトーチカがあるのでしょうか? 実はそれは、戦前まで、岩木山のすそ野に広がる一帯が「山田野演習場」という旧陸軍の訓練場だったからです。このトーチカは、当時、砲撃の訓練などで、大砲の着弾地点を観測するために使ったものでした。昔は、もっと多くの訓練用トーチカが付近にあったのだそうです。

090906-3a.jpg

[観測窓から外を見る…現在は雑木林しか見えない]

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[トーチカの眼下には開けた地形が広がっている]

 かつて演習場だったことを物語る本物の迫力は、最初は見るものを圧倒し、やがて厳粛な気持ちにさせてくれます。あの日。あの時代。わが町にも軍隊の歴史があったことを、決して忘れることのないように。(文:町学芸員 中田)

090906-4.jpg

[入り口と反対側には破壊の跡がある。爆風などの影響かと思いきや、戦後の物資不足の折に鉄筋を抜こうとしてこのような状態になったらしい。]

 さてさて…。

 まあ、行く前に学芸員N氏に
「今いくとコウモリの巣になってますから、へっへっへ。」
みたいに言われてたので覚悟は決めていたものの、うおーコウモリだ!

090906-5.jpg

まあ、害はないのですが、平素から触れ合っている系の生き物ではないので、すんませんすんません、ごめんなさいごめんなさい、みたいな感じで中に入っていったら、急に雨ふってきて、そのまま雨宿り状態に…。

1)トーチカで
2)コウモリと一緒に
3)雨宿り

ちょっと、なんつか、ここだけで十分すぎるくらいにブログネタだったかと思う次第…
こちらのブログ様によりますとキクガシラコウモリという種類だそうです。

しかし、まあ、このトーチカは訓練用とのことだけど、戦地にもあったわけだよね…この中で果てた人もいるわけだよね…絶対ここでは死にたくないと思いながらも、そんなことに思いを馳せた。

090906-6.jpg

今はなにもないけれど、ドアの蝶番が残っていたので、本当は完全に密閉空間だったようです。
この手の類はいつまでも遺物あつかいであってほしいものだ、と、切に…。

今回紹介した「わが町遺産」の場所:

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「わが町遺産」シリーズ一覧

投稿者 吟 : 2009年09月06日 20:25


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