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わが町遺産【第5回】~坂本台場~ - 2009年12月07日

ども。
 鰺ヶ沢町教育委員会広報紙〝あじある情報〟に不定期連載されている「わが町遺産」シリーズとのコラボ企画第五弾です。

 blog版では、写真を新規撮影した上で、再構成してお届けします。

今回は坂本台場の巻。
実はここ、前々から気になっていた場所ではあるのですが、なかなか機会がないままに…。
とりあえず、雪が降る前にいけてよかったよかった。



わが町遺産【第5回】~坂本台場~

 台場とは、海からの軍艦の攻撃に備えて、港や町を守るためにつくった砲台(大砲を置いた)のことです。江戸時代の幕末頃から、各地につくられました。特に江戸湾にあった品川台場は、現在でも東京都港区「お台場」の名前で親しまれ、大変有名です。

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[東京・お台場の様子:wikipediaより]

 では皆さん、鰺ヶ沢の「お台場」はご存じですか? 場所は、舞戸の坂本坂の上にある高台で、地元の人たちが「デンバ」(台場)と呼んでいるところです。今はただの雑木林ですが、探索してみると、土を盛って四角い陣地をつくった跡や、大砲を置いたとみられる発射台の跡が、そっくりそのまま残っています。

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[敷地の端々に盛土が見て取れる]

 東京のお台場とはちょっと雰囲気が違いますが、高台から望む日本海の眺めも絶景で、舞戸でご自慢の歴史スポットです。

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[旧鯵ヶ沢地区方面を臨む]

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[往時の鯵ヶ沢方面の様子:蓑虫山人写画より]

 この坂本台場は、明治時代初めの箱館戦争の時に、使われた砲台だとされています。当時、五稜郭(函館市)に立てこもった旧幕府軍は強力な海軍を有していたため、新政府軍だった津軽藩は、鰺ヶ沢の港を敵艦に攻撃される恐れがありました。記録によると、坂本台場には大砲2門が配備されたそうです。

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[デンバの構造が読み取れる絵図:舞戸村字北禿絵図(町教委蔵)より]


 明治2年(1869)年、五稜郭の降伏によって箱館戦争は終結を迎えます。幸いにも鰺ヶ沢への敵艦攻撃はなく、坂本台場から実際に大砲が撃たれることはありませんでした。その跡地は、今なお静かに、ひっそりと歴史の真実の姿を伝えてくれています。

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[現在のデンバの様子、一見ただの雑木林]

※台場からの眺めは、舞戸地区の「舞戸新八景」にも選ばれています。

現在のデンバは、鯵ヶ沢ではよく見かけるハリエンジュ(ニセアカシア)などによる雑木林になっているんだが、その中の一本に大きな丸石を根の中に抱え込んだ木があった。

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ハリエンジュは明治期に伝来した外来植物なんだよね。
で、もともとのデンバは土塁であったようなので、このような丸石はのちに持ち込まれたものかもしれないのよね。そしてそれを抱え込んだハリエンジュが根をはって幹を育てるまでの期間を考えると、ここにある土塁の跡-石-木の間には100年を越える縁がある、と言えなくもない。なんか不思議な感じがしなくもない。

なくもない が2度続いたw;

今回紹介した「わが町遺産」の場所:


大きな地図で見る


「わが町遺産」シリーズ一覧

投稿者 吟 : 2009年12月07日 00:17


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コメント

中学生のころ、行った記憶がある。あそこかな?
今行きたくとも不審者に間違えられるね。

投稿者 : 2009年12月08日 21:34

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