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わが町遺産【第7回】~旧鰺ヶ沢町史~ - 2010年02月22日

 鰺ヶ沢町教育委員会広報紙〝あじある情報〟に不定期連載されている「わが町遺産」シリーズとのコラボ企画7回目です。

 blog版では、写真を新規追加した上で、再構成してお届けします。

今回の主役は書物です。



わが町遺産【第7回】~旧鰺ヶ沢町史~

 わが町の歴史について書かれた「鰺ヶ沢町史」といえば、皆さん、昭和59年に出来た赤紫カバーの立派な本を思い浮かべることでしょう。家の本棚や、図書室などでよく見かける。おなじみの本だと思います。

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[現行の鰺ヶ沢町史全三巻+資料編]

 でも、実はその前にも、たった100冊しか作られなかった"もう一つの鰺ヶ沢町史"があったのです。

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[鰺ヶ沢町史の前身版?全三巻]

 それは、昭和30年の町村合併で今の鰺ヶ沢町になる前の、旧鰺ヶ沢町の町史です。この町史は、もともと昭和15年から、町の紀元二千六百年記念事業(神武天皇の即位2600年)の一つとして作られる計画でした。ところが、原稿を引き受けていた竹内運平氏(弘前の郷土史家)が戦後に亡くなり、仕事は、町出身の加藤鉄三郎、織田三郎の両氏によって引きつがれました。さらに原稿が完成すると、今度は昭和30年に町村合併があり、原稿は印刷の目途もつかないまま、むなしく町役場の書庫で埋もれてしまったと言います。これを何とか本にしたのが、当時、町の歴史を学ぶ民間グループだった「鰺ヶ沢民話会」でした。もちろん、民話会だけでは十分な印刷費がなく、自前でタイプライターを打って本を作ることにしたのだそうです。

 こうして数奇な運命をたどりながら、旧鰺ヶ沢町史は、たった100冊だけ印刷されました。全てが完成したのは昭和39年、町史作りが始まってから、戦中戦後や町村合併の混乱期をまたいで、なんと24年もかけてようやく出来た本でした。

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[紆余曲折を経て世に出た内容がこの中に…]

この旧町史は、数が大変少なかったこともあり、今も町内で持っている人は、ほとんどいません。現在の町役場でさえ、全3巻が1組あるだけです。そのため以前は、役場会計課の金庫で厳重に保管され、絶対に門外不出の本として大切にされたものだったそうです。すでに本の縁は傷み、使い込まれて古ぼけていますが、手にずしりと、歴史を受けついできた重みが感じられます。

これはもう、この本そのものが、れっきとした「わが町遺産」の一つと言ってよいでしょう。世の中には、どんなにお金を出しても、決して買うことができない本もあるのですね。

この前・鰺ヶ沢町史は、実はオレ、ちらほら読んでました。
毎週土曜日、公民館でパソコン相談・指導をしてるのですが、その場所が以前は旧図書室で、その片隅にひっそりと置かれていたのですよ。町名の由来の考察とか、すごい興味深い記述があった反面、なんだか表記とかに統一性がないな~とか思ってたんですが、その謎が解けたですよ、なるほどねぇ…。

ちなみに、現行の鰺ヶ沢町史はこちらに通販ページがありますので、一応。

「わが町遺産」シリーズ一覧

投稿者 吟 : 2010年02月22日 00:38


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