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白八幡宮大祭-二日目 - 2009年08月15日

二日目は神輿運行はなくて、各町内山車の自由運行です。
前回は全て中途半端に暮らしてしまいましたが、今年はテーマを決めて、カシ禰宜にフォーカスしてみました。ちなみに、読みは〝かしねぎ〟です。
もしかすると、鰺ヶ沢町民や鰺ヶ沢ご出身者でもあまり見たことある人はいないのではないか、というレアな神楽です。なんでかっていうと…そもそも公開期間が祭りの最中なので、行列や山車運行に参加してると見れないとか、あるいは四年に一回の公開頻度なので、祭りに参加してなくても、見れないとか(^^;)

オレも祭りの回数で云うならば今年が二回目です。
ま、とりあえず、どんなものなのか、どぞ。



さて、カシ禰宜の興味深いところですが。これがまた、いろいろあります。

まず、演目を奉納する場所が、仮設神社であるという点。
カシ禰宜は、新町の塩竈神社に属する(?)演目(?)ですが、現存する塩竈神社(願行寺の裏手あたり)は、比較的最近、昭和56年5月5日に再建(出典:鰺ヶ沢町史三巻)されたもので、もともと江戸時代にあったのもは、後年、浜町の胸肩神社に合祀され、さらに明治4年の神社改正とやらで白八幡宮に合祀され、そこから近年、遷座して再び新町に戻ってきたという、いわば彷徨える神社、みたいな。それが、また、四年に一度、忽然と国道沿いに現れる、みたいな。

もともと、新町では塩の商いが盛んだったようで、かような神社が存在するということらしいです。

んで、カシ禰宜の神楽中の台詞にも

〝宮の掃除も致さねばなりませず、塩竈の掃除も致さねばなりませず、〟とか〝汐汲む乙女諸共に、〟とか出てきてちょっとなんだか、なるほどな。

元々は、宮城(仙台?)の塩竈神社にあった神楽なのだそうで、安政九年(1780年)に商用で大阪にいった鯵ヶ沢の人(大塚又右衛門というお方らしい)が、帰路仙台に立ち寄った際に、この神楽に出会い、惚れこんで、かの地に一ヶ月逗留し、囃子から台詞から踊りから一切を伝授されて鯵ヶ沢に持ち込み、子どもたちに教えたのが起源なのだそうな。
そういう古文書が残っているそうです。

で、それから、ずーっと子どもたちが伝承してきたぽい。
本家・宮城では途絶えてしまったらしいのですが。まあ、そういう感じで、ここでもまた、昨日の記事ではないですが「いろんなオリジンが保存されてるな」感が。

意外に歴史文化の箱舟なのか、このへんは!?

オマケ:ビデオに字幕つける必要性から、カシ禰宜の台詞を書き起こす必要があったので。
一部、原稿よりも縁者の台詞にあわせて改変してたりもしますけど。

カシ禰宜

か様に候ふ者は此の宮に仕え奉る神職の者にて候ふ。今日は三寶吉日なれば、御神楽を奏し奉る。


宮の掃除も致さねばなりませず、塩竈の掃除も致さねばなりませず、さても さても さても いそがはしいことかな。


盆と正月が一度に参った様で、カシ禰宜心持ゾクゾク致します。


先ず先ず氏神へ参らう。


臨兵冠者、シチヤクヤカチヤクシチヤクチヤ、カシ禰宜によいいたこを授けて下さい。


あーらおそなはッて参りました。


太夫殿、太夫殿、宮の掃除も出来ました。塩竈の掃除も出来ました。早う御神楽を上げさしてようござらう。


何太郎冠者。


御前に。


掃除出来たか。


ハハー、太夫殿、太夫殿、常のこととは違ひます用意はせー。


そそうを云ふな。


ハハー、太夫殿、太夫殿、いたこのことは おなかぶねにいたしませう。


下におらんかー。

ハハー、皆々様よう御聞きなさいませ、私事は護符守も書きますし、祈念祈祷も上手なり。

宣託分はいつもの通りにしますに、飯一杯の御奉行であるまりたたいてもらひはしまい。


下におらんかー。


ハハー。


そもそもこれは塩竈大明神に仕え奉る神職の者にて候ふ。


幸ひ幸ひ。


神は人のうやまひによって威を増し、人は神の恵みによって子孫繁生す。


納就、納就。


ここにも神の五十鈴川、天下泰平、御代萬歳、四海の浪も治まりてー。


納就、納就、幸ひ、幸ひ、うやまって申す。

武運長久、海漁満足、氏子繁昌と御まもり候へや、さへ、さへ、小豆餅たんとついてあげます。


仲々納就。


幸ひ幸ひ。


国も港も賑やかに 袖振り分けの花かつぎ、出入る船は数知れず、世も豊年に治まりて 汐汲む乙女諸共に、いざや神慮謹み申すなり。

投稿者 吟 : 2009年08月15日 23:26


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コメント

鰺ヶ沢町民でありながら禰宜の台詞・初めて知りました。恥ずかしい限り。由緒ある大祭と知ってるだけで宮城県は塩竈神社のながれと、云うのも知り、良き書物に巡り合った気分でした。今後も楽しみに拝見させて頂きます!

投稿者 鰺ヶ沢の七兵衛 : 2009年08月16日 11:56

「えいぞうin鰺ヶ沢」(仮)に収録できる貴重な映像資料となりましたね!
4年後の新町の神様は、今度はどこに出現するのか楽しみですw

投稿者 小夜二班 : 2009年08月16日 14:15

3日間お疲れ様でした。ご縁があって、「かしねぎ」に参加できました。4年前は「チャンチャレンコ」で今回は「かしねぎ」。吟さんには このように映像まで残していただいて、本当に感謝です。これからも 鰺ヶ沢を盛り上げようね!

投稿者 ごろ : 2009年08月16日 23:10

鰺ヶ沢の七兵衛さん、
現在の白八幡宮大祭は、いろんな要素が複合して全体像を成しているみたいです。カシ禰宜もひとつの要素で、大祭行列(正式には神幸祭)と比べれば成立年代が百年ほどちがうのですが、それでも二百年以上の歴史があるわけですごいことだと思います。

小夜二班さん、
彷徨える神社、ってなんか、キャッチーでかっこいいっすねw;

ごろさん、
4年前のチャンチャレンコもどこかにビデオがあるかも…もしかすると写っているかも…(^^;)

投稿者 吟 : 2009年08月17日 12:13

誰か「カシ禰宜」の「カシ」の意味教えてくださいm(_ _)m

木の「樫」からきているとか?「頭(カシラ)」からきているとか?「仮死」「河岸」etcさまざま聞きましたが、本当のところどうなんでしょうか?
「禰宜」は神社に仕える者の職階の一つということなら、「カシ禰宜」は「禰宜」の頭(カシラ)ってせば、何となくわかるような…わからんような…^^;ただ「権禰宜(ごんねぎ)」ってするのもあるみたいだし、、、教えてください。

投稿者 smiryosyo2009 : 2009年08月21日 17:39

以下、まったくの推測です。(^^;)
禰宜は神職における役職のひとつなのでそれはそれで良いとして、カシが大塚家の古文書においてもカタカナで表記されているところが謎ですね。当時は、発音優先の当て字とかも頻繁に行われていたと思われますが、わざわざカタカナ表記しているということは、逆に言うと漢字として成立する意味のある単語ではなかったのではないか、という気がしますがどうでしょうね? 

ということで、ストーリーから鑑みて、「せかし」「おかし」など別の言葉が転訛した可能性があるのではないかと。

でも、まったくの推測ですよ。これ。

投稿者 吟 : 2009年08月23日 02:53

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