わが町遺産【第4回】~白八幡宮大祭~ - 2009年11月09日ども。 blog版では、写真を新規撮影した上で、再構成してお届けします。 今回は白八幡宮大祭の巻。 わが町遺産【第4回】~白八幡宮大祭~ 後日談として、先般10月31日、11月1日の両日、昔の白八幡宮大祭の映像の上映会が鰺ヶ沢公民館で行われ、多くの方々が関心をもって見ておられたのが印象的です。 昭和28年に撮影された16mm、昭和56年に撮影されたVHSが見比べられましたが、変遷しつつ継承されていく、伝統というか民俗というかそのへんが興味深かったです。 投稿者 吟 : 01:14 | コメント (4) | トラックバック 大祭に関するエトセトラ - 2009年09月03日先月末、といってもそれは今週頭のこと。 その絡みでいろいろ仕入れていたネタをメモ的にここに残そうかと。 まずは、シラハチマンなのかシロハチマンなのか、から…。 白八幡宮大祭の読みはシロハチマングウタイサイなのかシラハチマングウタイサイなのか。 ○どちらでもよい。シラと読もうがシロと読もうが、それが白八幡宮を指しているのであれば(八) 神輿について このふたつには、白八幡宮の主神が載っているとのこと。 前方の神輿 ○かつて田中町・水屋に存在し、後に白八幡宮に遷座した白鳥大明神。担ぎ手は田中町の者(より正式には田中町の漁師?)。神輿の名称は鳳凰輦(ほうおうれん)または略して鳳輦(ほうれん)という。神輿上部の飾りは伝説の生物、鳳凰である。(八)
○もともとの白八幡宮の主祭神。担ぎ手は漁師町の者(より正式には漁師町の漁師?)。神輿の名称は葱華輦(そうかれん)。神輿上部の飾りは、ネギの花(葱坊主)である。ネギの花は咲いても落ちないので縁起が良いとされる故。(八) ○田中町と漁師町の者が担ぐのは、かつてその町内が行列運行の終端だったためである。終端の町内の者は、そこまで来てくれるのであるから、と担ぎ手をかってでたとのことである。現在の行列の終端は大和田-舞戸まで伸びたが、そのしきたりが継承されている。(八) 行列について 大祭は正式には神幸祭(しんこうさい)と云う。神幸祭の中において、出発時の式を発興式(はつよしき)または発興祭(はつよさい)、到着時の式を還幸祭(かんこうさい)と云う。(八)
神輿行列は渡御(とぎょ)と云い、船による渡御を海上渡御(かいじょうとぎょ)という。 渡御は町内全ての神社前を通過するが、塩竈神社の仮殿、願行寺と水屋ではかならず立ち停まる。 ○かつての御旅所(神輿が宿泊する場所)は、水屋(田中町)であり、御旅所に神輿(=神)が居る場合、その場所で前夜祭(宵宮)が行われた。当時もう一方の端である淀町でも宵宮を行いたいという申し出があり、豊受美神社を御旅所とするパターンが新たに編成され、以降、公平となるよう交互に運行を行うようになった。しかしながら、その後、豊受美神社が御旅所として使われることがなくなったのだが、今後に運行するという伝統だけが受け継がれて現在に至る(八) ○海上渡御がなぜ行われるようになったかの由来は定かではない。(八) ○塩竈神社に立ち寄るのは正式参拝である。これは塩竈神社の祭神がかつて白八幡宮に合祀されていたことによる。(八) ○願行寺に立ち寄るのは、先々代の住職が、寺の前で破損した神輿を修理してくれたことに由来し、以降、敬意を表しているためである。(八) ○水屋に立ち寄るのは、かつて水屋に祭られていた白鳥大明神を合祀していることに由来する。(八) ○塩竈神社で奉納されるカシ禰宜について、これを漢字表記で下司禰宜とした明治時代の新聞記事が存在する。(ただし、その漢字表記が何に起因するかは不明である)
○元来、祭りは神事であり、神輿行列と山車行列が一体となっている大祭は、由緒正しい祭りの形態を現在に伝えている。逆に後方の山車運行が神事を離れ、発展するとネブタやネプタのような祭り形態になる。(書) ○山車には行きと戻りの囃子があり、それぞれチャンチャレンコと夜神楽である。行きか戻りかは、神輿行列の動きを基準とするが、神輿行列がいない場合には山車の動きを基準とする。(冨) 例)淀町方面へ向う漁師町通過時、神輿は新地におり不在であるので、山車を基準に考え囃子は行き(チャンチャレンコ)を奏でる。復路では、神輿が漁師町をはじめて通過するので、これも行きと考えてチャンチャレンコを奏でる。その後、神輿が浜町に入り、山車が釣町を通過する際には、前方に神輿がいないので、山車の往復を考えて戻りとし、夜神楽を奏でる。 ※とはいえ、生演奏がすたれ、テープ再生が主体となっている現状では、このような細やかな演奏の仕分けが難しくなっているのも事実でありましょう。 ○チャンチャレンコの語源は、その演奏の擬音ではないか。口伝による演奏技術の継承などの結果ではないか。(冨) ○ちなみに弘前にはチャンチャレンコそっくりの演奏が残っており、弘前祇園囃子と呼ばれている。夜神楽もあるぽい。 ○鰺ヶ沢の夜神楽は、戦後はじまったものであり、二丁目が始め、それが各町内に広まった。(冨) ○ただし、一丁目だけは夜神楽はおこなっていない。しかしながら、夜神楽の囃子で舞う児雷也はある。 ○夜神楽には歌詞があり、その内容は… ※↑メロディを覚えやすくするための当て歌詞?
投稿者 吟 : 23:19 | コメント (2) | トラックバック 白八幡宮大祭-最終日その2 - 2009年08月17日さて、海上渡御の後、地上の行列が再開されます。 歴史的というか慣例的というか、鰺ヶ沢町は本町一丁目を境に上下(かみしも)ふたつに分けて考えることがあります。※本町一丁目という地名も慣例的地名で、現行の正式住所表記ではこの表現はないです(^^;) 今年は初日に、大和田方向へと渡御し、最終日に田中町方向へ行くわけですが、前回の祭りではこの順番が逆でした。どちら向きにスタートするのかは、交互に行われているようですな。 そうこうするうちに、御神輿は田中町の水屋に到着。
また、このような経緯からか、前の方の御神輿は代々、田中町の人々だけが担ぐことが許されてきたのだそうです。
御神体を元の場所に安置して、これにて終了です。 各町内毎の山車の話とか、チャンチャレンコと呼ばれる踊りとか、あるいは白八幡宮はそもそも「しらはちまんぐう」なのか「しろはちまんぐう」なのか、とかいろいろ気になったり言及したりしたいネタは多々ありますが、それはまた…。
投稿者 吟 : 22:32 | コメント (2) | トラックバック 白八幡宮大祭-最終日その1 - 2009年08月16日このエントリ書いている途中で力尽きて寝てしまい、公開までちょっとタイムラグが生じました。(^^;) さて、最終日は冒頭より見所である、海上渡御(かいじょうとぎょ)です。
この船には限られた人しか乗船できません。船上では、ずーっと神事が執り行われっぱなしでトントントンという太鼓の音とともに、港の外へと出て行きます。
投稿者 吟 : 23:13 | コメント (0) | トラックバック 白八幡宮大祭-二日目 - 2009年08月15日二日目は神輿運行はなくて、各町内山車の自由運行です。 オレも祭りの回数で云うならば今年が二回目です。 さて、カシ禰宜の興味深いところですが。これがまた、いろいろあります。 まず、演目を奉納する場所が、仮設神社であるという点。 もともと、新町では塩の商いが盛んだったようで、かような神社が存在するということらしいです。 んで、カシ禰宜の神楽中の台詞にも 〝宮の掃除も致さねばなりませず、塩竈の掃除も致さねばなりませず、〟とか〝汐汲む乙女諸共に、〟とか出てきてちょっとなんだか、なるほどな。 元々は、宮城(仙台?)の塩竈神社にあった神楽なのだそうで、安政九年(1780年)に商用で大阪にいった鯵ヶ沢の人(大塚又右衛門というお方らしい)が、帰路仙台に立ち寄った際に、この神楽に出会い、惚れこんで、かの地に一ヶ月逗留し、囃子から台詞から踊りから一切を伝授されて鯵ヶ沢に持ち込み、子どもたちに教えたのが起源なのだそうな。 で、それから、ずーっと子どもたちが伝承してきたぽい。 意外に歴史文化の箱舟なのか、このへんは!? オマケ:ビデオに字幕つける必要性から、カシ禰宜の台詞を書き起こす必要があったので。
投稿者 吟 : 23:26 | コメント (6) | トラックバック 白八幡宮大祭-初日 - 2009年08月14日あれから四年がたちまして。 主旨は非常にシンプルで、四年に一度、ご町内にある白八幡宮の神様が、神輿にのって町内を見回るというものです。これを渡御(とぎょ)と言います。 神輿を担ぐことが出来るのは、鰺ヶ沢の中でもさらに特定の町内の者だけです。ちなみにオレは資格外です(^^;) そんなシンプルな主旨のお祭りではありますが、そのお神輿への随行がややべらぼうで… 一番後ろにお神輿がおります。 そんでもって…。 ずらりと並んだ、各町内毎の山車。これらが、神輿行列の後に山車行列として続きますので、行列全体の長さはさらに3倍くらいになります。とはいえ、もはや、この山車運行も、全町内が参加しているわけではないのです。これも人口減の影響です。 この、神事(神輿行列)があっての山車運行というのが本来のスタンダードな祭りの姿ではないかという話もあります。翻って、青森ネブタや弘前ネプタなどは、この山車運行部分が肥大化し、神事部分が廃れてしまったのではないか、という説もあるそうな。 そのへん議論の余地はいろいろあるかもしれませんが、ま、鰺ヶ沢ではいろんなオリジンが何気に沢山保存されていて、これもその一例なのかもしれませんのぅ。 そうこうするうちに行列は淀町に。 鳥居越しに行列を取ろうと思っていたら、神職さんに一礼されて、どきどき。 かつてこの神社は、正式な御旅所、つまり神輿が休む場所だったとのこと。 さらにその先、大和田町内に行列が到達。 ここはかつて、昭和30年の町村合併が行われる前の、旧鰺ヶ沢町の境目です。 神輿がここにやってくる直前、神輿方向からなにやら一陣の風がふっと吹いてきたのがちょっとした軽度の神秘体験。たまたまでしょうが、疲れているとふっとそんな気持ちになりますな。 ここで丸一日、御神輿はお休みすることに。 投稿者 吟 : 21:19 | コメント (2) | トラックバック 祭りの年 - 2009年07月02日今年は四年に一度の白八幡宮大祭の年である。 と、いうことは、前回は4年前である。上記は今年のポスター。 なんか、作風の変化にも4年という歳月が流れている感がある…やも。 大体どんなまつりかてーと、まあ御神体が町内を検分(?)してあるくといった様相の行列が主旨。 鰺ヶ沢・白八幡宮大祭 - 初日 - 2005年08月14日 大祭のページも更新されてますな。 ということで今年の夏は歴史がキーワード。 投稿者 吟 : 23:13 | コメント (0) | トラックバック 白八幡宮大祭 - 終了 - 2005年08月16日おわりましたな、つかれましたな。 さて、本日は御神体の収められた神輿が船で沖に出るという「海上渡御」(かいじょうとぎょ、と読むらしい)がありましたな。港町ならではな感じ。 ところで今日の一枚目。 満艦飾(まんかんしょく)というあまり聞きなれない言葉がありますが、マージャンの役ではありませぬ。要は船を飾り立てることなんですがね、上の写真が一つの例。 こういう船が何艘もある種艦隊行動みたいに動くらしいので、こりゃ見てみたいじゃない? ということで、オレはひとり山に登ったw ま、ちょっと沖合い遠いんで、アレだけども、隊列組んだりぐるんと回ったりとか、けっこう面白い動きしてましたな。 余談: 投稿者 吟 : 22:53 | コメント (4) | トラックバック 白八幡宮大祭 - 二日目 - 2005年08月15日本日は大祭の二日目でありまして、各町内の山車の自由運行でした。 いや、ま、なんつーか、オレんとこの町内が山車運行ない町内なので、あんま燃えないとゆーか…。 あれだね。運行スケジュールとか事前にわかってるといいんだけどね。 ということで、夜の大集合ライトアップは見にいったけど。 現存する山車は10台あるのかな? んでもって、ジライヤ(注:2)とかの見所もあったのですが、私、そのときあろうことか死角に位置しておりましたゆえ、これまた押さえることができておりませぬw; なんつか、力抜けまくりな感じで行動してた二日目でありますた。
注2 ジライヤ:踊っているのはオレと同級生だが、向こうがオレに気づいてないのでオレも特に声をかけていないとゆー。っていうか、あのメイクされてると、声かけられないです…。 投稿者 吟 : 23:36 | コメント (0) | トラックバック 鰺ヶ沢・白八幡宮大祭 - 初日 - 2005年08月14日神通力は実在するのか? いま、この地は霊験にあふれているのやもしれん…。とかゆー。 ということで、白八幡宮大祭初日@鰺ヶ沢。 津軽の祭りというとねぶた・ねぷた系統風味が思い浮かぶかもしれませんが、白八幡宮大祭は明らかに異質ですな。 よーするに、なんなのかちゅーと、ご神体が四年に一度町内を検分してあるく、ちゅーことになるのかな? 基本的に御神輿なのですが、えっほえっほ、ではなく、それをしずしすと運行するために行列が組まれます。ここだけみると、まるで参勤交代な歴史絵巻。 70以上の役職があって、それらの人数と並びがぜ~んぶ細かく決められておりますな。最上級クラスの役職だと、馬上の人となりますな。 さらにそのあとに各町内の人形山車が続きます。ことしは7台運行したのかな? ねぶたのようでねぶたでないです。 サウンドもねぶた系のドンコドンコドンコドン!
オマケ:御奉行会談 いわゆる「どうよ!?」って感じの休憩タイムなんだろうが、衣装が衣装なので「どうでござる!?」に見えてしまうな…。 投稿者 吟 : 16:49 | コメント (6) | トラックバック 白八幡宮大祭 - 2005年07月04日地元的には、通称、「四年に一度の祭り」または単に「祭り」と呼ばれちょりますが、今年がその年ですな。
これがまた、なぜに四年に一回なのかというと、元来は弘前と持ち回りでやっていたらしいのですな。そうすっと、お互いに四年に一回をずらしながらやるから、実質は二年ごとにどっちかでやっていたという。 実際の模様とかは、ここ見るといいかも。 青森の祭りというと先入観でネブタとかネプタとかそういうの想像しちゃいそうですが、この祭りはビジュアル的には人形山車を牽いてる感じで似てるけども、音的にはコンチキチンな祇園祭っぽい風情(MP3)だったりする。もっともちゃんと比べると似て非なるものらしーのだが。 まだ、一月以上先のイベントだけども、今年のポスターがえらく気に入ったので、本日のエントリーにしてみましたよ。それもそのはず、絵柄んとこのその「の」の字マーク。 検索 |
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