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再生の町 - 2009年08月29日

今日からはじまった NHK土曜ドラマ〝再生の町〟が、結構おもしろいというか興味深いです。

http://www.nhk.or.jp/dodra/saisei/

行政とはなにか、故郷とはなにか、財政破綻とはなにか、地域再生とはなにか。
ひっじょーに気になるテーマのドラマですね。

NHKオンデマンドでも見れますね。

投稿者 吟 : 21:21 | コメント (2) | トラックバック

夏から秋へ移行中 - 2009年08月27日

なんだか季節の境目感。

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こういうときに体調崩しがちだよね~
皆さまもご自愛くださいませね~

オレはいまのところだいじょうぶですが、なにかの拍子に寝込みそうな予感もするよ例年のパターンからいくと。

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海が光ってたよ - 2009年08月24日

とおりすがりの水平線。

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風がぼちぼち秋っぽいよ。

投稿者 吟 : 23:06 | コメント (0) | トラックバック

なんとはなしに海 - 2009年08月22日

毎週土曜日は地元公民館でパソコン教えたり相談に乗ったりとかいうのをここ4年ほどやってきているわけですが、あろうことか8月は…

祭り、祭り、選挙、選挙 で部屋が使えず、まるっとお休みなのである。

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つーことで、ふらふら~と海方面。
暑くも無く寒くも無く風がきもちええのぉ~ちょびっと強いが。

投稿者 吟 : 23:13 | コメント (0) | トラックバック

夏・終了 - 2009年08月20日

故人を偲ぶ灯篭が海へと流され、どんどどんと花火があがる。

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これにて鯵ヶ沢の夏の営業は終了でございます。来年またお会いしましょう。

って感じで、明日から秋へと季節が加速していく所存です@鯵ヶ沢。

投稿者 吟 : 23:23 | コメント (0) | トラックバック

中下に行った - 2009年08月19日

ふらっと母方の墓地に墓参りにいってみた。
途中の、たぶんお稲荷さん。

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ちなみに冬は、こうだったよ。

振り向くと、田んぼのはしっこに御札。

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秋がずんずん見えてくるねぃ…。

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白八幡宮大祭-最終日その2 - 2009年08月17日

さて、海上渡御の後、地上の行列が再開されます。
今日は残りの半分の行程、鰺ヶ沢町の駅方面へと向います。

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歴史的というか慣例的というか、鰺ヶ沢町は本町一丁目を境に上下(かみしも)ふたつに分けて考えることがあります。※本町一丁目という地名も慣例的地名で、現行の正式住所表記ではこの表現はないです(^^;)

今年は初日に、大和田方向へと渡御し、最終日に田中町方向へ行くわけですが、前回の祭りではこの順番が逆でした。どちら向きにスタートするのかは、交互に行われているようですな。

そうこうするうちに、御神輿は田中町の水屋に到着。
ここでしばし休憩をします。
前回のよう田中町方面から運行する場合は、ここに御旅所(御神輿が泊まるところ)が設けられます。

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水屋は、この祭りの中でも特別な意味がある場所です。
御神輿が二つありますが、白八幡宮の御神輿は後方にある、丸い火の玉状の飾りがついている方です。
前にある鳥の姿があしらわれている御神輿は白鳥大明神で、もともとはこの水屋にお宮があったのでした。
ただ、波によるお宮の土地の侵食が激しく、白八幡宮に遷座したのだそうです。
ある意味、神様の里帰りという事ができるのかもしれませんね。

また、このような経緯からか、前の方の御神輿は代々、田中町の人々だけが担ぐことが許されてきたのだそうです。
ちなみに、後方の御神輿は、同じく、漁師町の人々だけが担ぐことが許されてきたのですが、その由来は判然としないみたいです。由来が判然としないながらも、脈々とその形式が受け継がれてくるあたりが、良い意味でも悪い意味でも、とても鯵ヶ沢らしい感じがします。


そして、一行は駅前を通過しつつ折り返し、中村川を渡って帰路に。

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白八幡宮に到着してからも神事は続きます。

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お宮の周りを三回まわります。かような儀式があることを、不勉強ながら今回初めて知りました、です。

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この後、御神輿が蔵(?)にはいって、その中で御神体の移動が行われます。その様子は関係者以外、知ることはできませぬ。

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御神体を元の場所に安置して、これにて終了です。

各町内毎の山車の話とか、チャンチャレンコと呼ばれる踊りとか、あるいは白八幡宮はそもそも「しらはちまんぐう」なのか「しろはちまんぐう」なのか、とかいろいろ気になったり言及したりしたいネタは多々ありますが、それはまた…。


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白八幡宮大祭-最終日その1 - 2009年08月16日

このエントリ書いている途中で力尽きて寝てしまい、公開までちょっとタイムラグが生じました。(^^;)

さて、最終日は冒頭より見所である、海上渡御(かいじょうとぎょ)です。
二つの御神輿が船にて鯵ヶ沢沖合いをぐるっと一周します。

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この船には限られた人しか乗船できません。船上では、ずーっと神事が執り行われっぱなしでトントントンという太鼓の音とともに、港の外へと出て行きます。

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全貌は写ってないですが、十艘ほどの漁船団も満艦飾で随行します。

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だいたい1時間もかからずに戻ってきます。沖合い数百メートルを富根町~淀町あたりまでいって帰ってくるかんじでしょうか。満艦飾の船団って、かっこいいっすね。

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最終日はこのあと行列が再編されますが、それは…つづく。

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白八幡宮大祭-二日目 - 2009年08月15日

二日目は神輿運行はなくて、各町内山車の自由運行です。
前回は全て中途半端に暮らしてしまいましたが、今年はテーマを決めて、カシ禰宜にフォーカスしてみました。ちなみに、読みは〝かしねぎ〟です。
もしかすると、鰺ヶ沢町民や鰺ヶ沢ご出身者でもあまり見たことある人はいないのではないか、というレアな神楽です。なんでかっていうと…そもそも公開期間が祭りの最中なので、行列や山車運行に参加してると見れないとか、あるいは四年に一回の公開頻度なので、祭りに参加してなくても、見れないとか(^^;)

オレも祭りの回数で云うならば今年が二回目です。
ま、とりあえず、どんなものなのか、どぞ。

さて、カシ禰宜の興味深いところですが。これがまた、いろいろあります。

まず、演目を奉納する場所が、仮設神社であるという点。
カシ禰宜は、新町の塩竈神社に属する(?)演目(?)ですが、現存する塩竈神社(願行寺の裏手あたり)は、比較的最近、昭和56年5月5日に再建(出典:鰺ヶ沢町史三巻)されたもので、もともと江戸時代にあったのもは、後年、浜町の胸肩神社に合祀され、さらに明治4年の神社改正とやらで白八幡宮に合祀され、そこから近年、遷座して再び新町に戻ってきたという、いわば彷徨える神社、みたいな。それが、また、四年に一度、忽然と国道沿いに現れる、みたいな。

もともと、新町では塩の商いが盛んだったようで、かような神社が存在するということらしいです。

んで、カシ禰宜の神楽中の台詞にも

〝宮の掃除も致さねばなりませず、塩竈の掃除も致さねばなりませず、〟とか〝汐汲む乙女諸共に、〟とか出てきてちょっとなんだか、なるほどな。

元々は、宮城(仙台?)の塩竈神社にあった神楽なのだそうで、安政九年(1780年)に商用で大阪にいった鯵ヶ沢の人(大塚又右衛門というお方らしい)が、帰路仙台に立ち寄った際に、この神楽に出会い、惚れこんで、かの地に一ヶ月逗留し、囃子から台詞から踊りから一切を伝授されて鯵ヶ沢に持ち込み、子どもたちに教えたのが起源なのだそうな。
そういう古文書が残っているそうです。

で、それから、ずーっと子どもたちが伝承してきたぽい。
本家・宮城では途絶えてしまったらしいのですが。まあ、そういう感じで、ここでもまた、昨日の記事ではないですが「いろんなオリジンが保存されてるな」感が。

意外に歴史文化の箱舟なのか、このへんは!?

オマケ:ビデオに字幕つける必要性から、カシ禰宜の台詞を書き起こす必要があったので。
一部、原稿よりも縁者の台詞にあわせて改変してたりもしますけど。

カシ禰宜

か様に候ふ者は此の宮に仕え奉る神職の者にて候ふ。今日は三寶吉日なれば、御神楽を奏し奉る。


宮の掃除も致さねばなりませず、塩竈の掃除も致さねばなりませず、さても さても さても いそがはしいことかな。


盆と正月が一度に参った様で、カシ禰宜心持ゾクゾク致します。


先ず先ず氏神へ参らう。


臨兵冠者、シチヤクヤカチヤクシチヤクチヤ、カシ禰宜によいいたこを授けて下さい。


あーらおそなはッて参りました。


太夫殿、太夫殿、宮の掃除も出来ました。塩竈の掃除も出来ました。早う御神楽を上げさしてようござらう。


何太郎冠者。


御前に。


掃除出来たか。


ハハー、太夫殿、太夫殿、常のこととは違ひます用意はせー。


そそうを云ふな。


ハハー、太夫殿、太夫殿、いたこのことは おなかぶねにいたしませう。


下におらんかー。

ハハー、皆々様よう御聞きなさいませ、私事は護符守も書きますし、祈念祈祷も上手なり。

宣託分はいつもの通りにしますに、飯一杯の御奉行であるまりたたいてもらひはしまい。


下におらんかー。


ハハー。


そもそもこれは塩竈大明神に仕え奉る神職の者にて候ふ。


幸ひ幸ひ。


神は人のうやまひによって威を増し、人は神の恵みによって子孫繁生す。


納就、納就。


ここにも神の五十鈴川、天下泰平、御代萬歳、四海の浪も治まりてー。


納就、納就、幸ひ、幸ひ、うやまって申す。

武運長久、海漁満足、氏子繁昌と御まもり候へや、さへ、さへ、小豆餅たんとついてあげます。


仲々納就。


幸ひ幸ひ。


国も港も賑やかに 袖振り分けの花かつぎ、出入る船は数知れず、世も豊年に治まりて 汐汲む乙女諸共に、いざや神慮謹み申すなり。

投稿者 吟 : 23:26 | コメント (6) | トラックバック

白八幡宮大祭-初日 - 2009年08月14日

あれから四年がたちまして。
四年に一度行われる、鰺ヶ沢町伝統の祭り、白八幡宮大祭。
この歴史は延宝五年(1677年)までさかのぼれるらしいですけど。

主旨は非常にシンプルで、四年に一度、ご町内にある白八幡宮の神様が、神輿にのって町内を見回るというものです。これを渡御(とぎょ)と言います。

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神輿を担ぐことが出来るのは、鰺ヶ沢の中でもさらに特定の町内の者だけです。ちなみにオレは資格外です(^^;)
わっしょいわっしょいとかそういう類の担ぎ方はしません。あくまでも神様ですので、うやまいつつ、そーっと。

そんなシンプルな主旨のお祭りではありますが、そのお神輿への随行がややべらぼうで…

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一番後ろにお神輿がおります。
でも、この行列も、人口の減少でかなり規模が縮小してるんですぜ。端折っている役割とかけっこうあるらしいです。ひるがえって昭和前期のあたりは、むちゃくちゃべらぼうな長さの行列だったとのこと。

そんでもって…。
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ずらりと並んだ、各町内毎の山車。これらが、神輿行列の後に山車行列として続きますので、行列全体の長さはさらに3倍くらいになります。とはいえ、もはや、この山車運行も、全町内が参加しているわけではないのです。これも人口減の影響です。

この、神事(神輿行列)があっての山車運行というのが本来のスタンダードな祭りの姿ではないかという話もあります。翻って、青森ネブタや弘前ネプタなどは、この山車運行部分が肥大化し、神事部分が廃れてしまったのではないか、という説もあるそうな。

そのへん議論の余地はいろいろあるかもしれませんが、ま、鰺ヶ沢ではいろんなオリジンが何気に沢山保存されていて、これもその一例なのかもしれませんのぅ。

そうこうするうちに行列は淀町に。
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鳥居越しに行列を取ろうと思っていたら、神職さんに一礼されて、どきどき。
もちろんオレに礼しているのではなくて、豊受美神社に対して、です。

かつてこの神社は、正式な御旅所、つまり神輿が休む場所だったとのこと。
あとでそのことを知り、なんだか申し訳ないことした気持ちに…。

さらにその先、大和田町内に行列が到達。
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ここはかつて、昭和30年の町村合併が行われる前の、旧鰺ヶ沢町の境目です。
大和田は当時は町外、隣村である赤石村でした。(今でも住所は大字赤石ですね)
そのため、このような歓迎の柱を建ててお神輿をお迎えするという礼を尽くしているのです。それが今でもそのまま伝わっています。行列はこの少し先で折り返し、そのまま鰺ヶ沢漁港のお旅所(御仮殿)まで戻ってきます。

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神輿がここにやってくる直前、神輿方向からなにやら一陣の風がふっと吹いてきたのがちょっとした軽度の神秘体験。たまたまでしょうが、疲れているとふっとそんな気持ちになりますな。

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ここで丸一日、御神輿はお休みすることに。

投稿者 吟 : 21:19 | コメント (2) | トラックバック

夏猫s - 2009年08月12日

庭野良一家の夏…

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あらあら…。

投稿者 吟 : 23:53 | コメント (3) | トラックバック

わが町遺産【第2回】~御仮屋(おかりや):鰺ヶ沢町奉行所 - 2009年08月09日

 ども。
 「わが町遺産」シリーズとコラボるblog企画の第二弾です。

>>第一弾はこちら

 今回もblog版では、写真を新規撮影した上で、再構成してお届けします。

わが町遺産【第2回】~御仮屋(おかりや):鰺ヶ沢町奉行所

 現在の鰺ヶ沢保育所が建っているところ、ここに昔、江戸時代の鰺ヶ沢町奉行所がありました。鰺ヶ沢の港町を管轄する町奉行のいた奉行所の跡地として、皆さんもよくご存じなのではないでしょうか。でも、さらに「御仮屋」という名前まで知ってる人がいたら、その人は相当の歴史先生です。


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[現在の鰺ヶ沢保育所正面階段]


 「御仮屋」というのは、殿様の宿泊所のことを意味します。弘前城の殿様が江戸に旅する途中とか、領内の巡見を行う時の仮の宿舎として使われました。殿様のいない時には、ふだん町奉行所として使っていました。だから御仮屋も、町奉行所も、同じ建物だったのです。

 さて鰺ヶ沢の御仮屋(町奉行所)ですが、入り口は何処だったでしょうか? 今と同じ保育所に上がっていく階段だと思った人、残念、間違いです。実は昔の絵図では、御仮屋の入り口は、なんと米町の通りに面した所に描かれています。今で言うと、裁判所に上がっていく坂道の下あたりです。


[鰺ヶ沢町絵図(光信公の館蔵)の一部:クリックで拡大]

 もちろん現在は、入り口なんてありません。つまり、どういうことかというと、御仮屋があった江戸時代の後、明治時代になってから、もともとの入り口を埋めて、今の場所に新しい階段を作ったみたいなのです。

これは意外な豆知識です。知らない人が多いと思うので、ぜひ自慢して教えてあげてください。(文:町学芸員 中田)


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[米町通りから見た現在の様子:昔はここに階段が]


オマケ写真:
御仮屋跡地はその後も町の要所として使われ続けました。
近年では、昭和48年(1973年)に現在の場所に移転するまでの鯵ヶ沢町役場は、御仮屋の場所にあり、その裏手に旧・鯵ヶ沢保育所がありました。

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[昭和40年(1965年)頃の旧・役場庁舎]
現在の保育所の正面階段が旧・役場ではこのように。右側の樹木は今はもうないですが。

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[改築される直前の旧・鯵ヶ沢保育所]
建物はなくなりましたが、左に写っている松は今も同じ場所にありますね。


今回紹介した「わが町遺産」の場所:

大きな地図で見る


「わが町遺産」シリーズ一覧

投稿者 吟 : 15:09 | コメント (0) | トラックバック

- 2009年08月08日

明日の朝7:30~8:00くらいの間のNHK総合で白八幡宮大祭の準備の模様とかやるらしいです。

投稿者 吟 : 23:23 | コメント (2) | トラックバック

ちょーーー! - 2009年08月07日

なんだかヒラヒラとやってきては変な姿勢でとまってるな、と。
花とかないのになにやってんだい?と。

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産卵してるっぽいねぇ。
アゲハって山椒の木に産卵するんだっけ?
みかんの木とかじゃないんだっけ?

と思って調べてみたら、山椒ってミカン科なのね、なるほど。
しかも山椒は産卵する対象として割とメジャーみたいだ、なるほど、なるほど。

ってことは…。うおぉぉぉ、なにかが待ち遠しい、なにかが(^^;)

追記:翌日タマゴを確認

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投稿者 吟 : 23:33 | コメント (3) | トラックバック

かかし関係 - 2009年08月06日

空模様がいい感じなので、毎年恒例、中村方面の案山子の様子をうかがいに。

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でっかいのは立ってた。
でも、ちっさいほうはまだ棒だけ(建てるためのやつ)のが多かった。

近くで畑仕事してた母さんによると、日曜日あたりに向けてちらほら建っていくのではないか、とのこつ。
たしかに、そんな話を聞いた直後に、どこぞから車でやってきて、建てて、そして去っていく、といった様子も見られる。

でっかいほうは、もう準備オッケーってかんじだけどね。

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でっかいといえば、中村のこれら通称・ジャンボかかしは6~7メートルくらいなんだけど、さらに先、浜横沢地区あたりにいくと、10メートルくらいのやつもあるよ。

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かかしというかこけしだけど。

毎年ちらほら写真とりにきてる人とかも多いのですが、そういう場合は午前中がオススメでしょうか。
午後3時近辺になると、逆光になってきますんで。

それはそれで狙っていくのも味がありますが。

投稿者 吟 : 23:47 | コメント (0) | トラックバック

近所のキノコ - 2009年08月05日

ご近所キノコを発見す。

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食用ではあるまいが、やけに存在感があるキノコ。

そいや、なんか、子どもの頃、「マンガ 日本のこわい話」だかなんだか、そんな感じのタイトルの本があって、それにキノコの化け物が出てきたんだが、こんなテイストのデザインだった…。

こやつも夜な夜なうろつくんだろうか。
小鳥とか、食ってんだろうか…。

投稿者 吟 : 23:31 | コメント (3) | トラックバック

夕陽の形が舟っぽい - 2009年08月04日

てか、水平線付近の雲が厚かったので、夕陽が見えるとは思ってなかったんだけど、不意に見えた。

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しかも、一部。

たまたま雲の切れ目だったのかしら??

投稿者 吟 : 23:52 | コメント (0) | トラックバック

復活の花 - 2009年08月03日

今年は近場のネムノキの花の見ごろをすっかり見逃した。

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しかし、それにはれっきとした理由がある。
これまで毎年、こんな立派に咲き誇っていたので見逃そうはずもない。

だが、しかし…。

昨年の晩秋、枝が伐採されたのでございますよ。

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まあ、交通上の支障を考えれば、やむにやまれんところもあるが…ここまでばっさりだと、これはもうダメかもしれんね…とか思ってたんだけど。

なんか、がんばりを見せて復活しつつある。

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いや~すげ~ね、木。
ちょっと感動した。

来年は、もっと沢山の復活した花を見れることでありましょうぞ。

投稿者 吟 : 23:40 | コメント (0) | トラックバック

ノウゼンカズラ - 2009年08月02日

鰺ヶ沢町役場庁舎にある、超立派なノウゼンカズラが超見ごろなのだが…。

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それよりもなによりも、二年前にもほとんど同じ写真を撮っていたということに驚きを禁じえない ...


7月もおわりですな - 2007年07月31日

そして、そのエントリの記事タイトルがやっぱりデジャヴュなのに驚きを禁じえない ...

歴史は繰り返すね!
それは忘れっぽいからだね!

投稿者 吟 : 23:57 | コメント (0) | トラックバック


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